さきほど、の続き。株式会社マツダにはその背景上、できる事できない事が多く重なる
小早川氏は理論でやるべきことはわかっていた
また、同時にその中でやれることをも、当然見通していた
できない事もわかっていた
何が問題だ?
「勝つためのシナリオ」が必要だと。
マツダスピードの社長、とマツダは水と油
これを何とかしなきゃならない、目的のためなら
水と油でも必ず融合させることができるはずなのだ
メーカーは”何をやってるんだ?” と言う
マツダスピードは”そんなんだから勝てない” と言う
井上さんを説得して”勝つためのシナリオ”が必要で
達富さんが作ったエンジンを貴島さんの指揮下700馬力を支え伝達させる
だれも振り向かかなくとも私は信念と共に行く、
そこに優勝があるならば、水を油に溶こう
いま振り返ると、水と油を溶いた事
小早川氏は電話の向こうで語った
そんなことはできない、できるけれどそもそも会社が違う中での共存は無理なのだ。でも、勝つためにはそれしかない、エンジンも数週間で熟成させよう、部品が無いなら今すぐ作れ、言い訳や、誰かのせいにするな!マツダスピードがもう一基エンジンが欲しいというなら今すぐ作れ、時間が無ければ作れ、腹が減ったら現場でラーメンだ!
(この帽子は小早川氏がルマン・サルテサーキット表彰台で被っていたもの)
志ざしありて凛々しく、艶ありて昂むる
「志、凛、艶、昂」
私は、私であって、私以外のなにものでもない。こころざしである。
武骨であること、おだやかであることの紙ひとえの差を知っている。
りりしさである。 人を感応させ、惑わせ、溺れさせ、嫉妬させるもの。
つやめきである。 造り手の汗は深く心の内に流し、乗り手の熱は限りなくほとばしりでて。
たかまりである。 志ざしありて凛々しく、艶ありて昂むる。
スポーツカーはそのようにして母の胎内を出、そして いうのだ。
遊びをせんとや 生まれけむ。
その心意気や、FD3Sを生むのである
定価や利率、そんなもん必要ない、
誰もが振り返り決して目を離せなくなる
RX-7はRX-7である、だからこそ、常人は魅せられるのだ。
中村は思う。 ”ルマンも、RX-7も、47士の戦いだったのだ”と。
達富さんはマツダスピードの社長ではなく、当時マツダの常務で商品本部長でした。間違いを正しておきます。当時のマツダスピードの社長は森丘さん、マツダスピードの専務が大橋さんです。REが出場できる最後の年90年のルマンに向けての挑戦は達富さんの強力なリーダーシップによる(馬力を100馬力も向上せよなどの思い切った挑戦)ものでしたが、いかんせん時間が不足していたため、90年は惨敗となってしまいました。しかしそこに「女神」が微笑んでくれ、もう一年だけ出場が可能となったのです。
それまではどちらかというと水と油的な関係にあったマツダとマツダスピードがしっかりと手を組んで取り組むために森丘さん、大橋さん、そして私がしっかりと手を組むことにしたもので、マツダとマツダスピードが全面協力しての「勝つためのシナリオ」を書きあげてくれたのが井上さんです。加えてFD開発で超多忙な貴島さんの全面協力も得ることが出来、スーパーコンピューターを活用してのハンドリング改善も大きな勝因となりました。とりあえずこれを付け加えておきます。
大変申し訳ありません。ご指摘、ありがとうございます
長時間、幾度の電話だけならず、ご指摘いただき重ね重ね、大変申し訳ありませんでした。
この先の展開や、いかに!?
RE昔を知らない若い方も、ようやく子育てが終わってRX-7に乗れたオジサマも
7乗り全員が、もっと喜んでいただける展開を頂いているのでしばしお待ちを。
センパイ、純正エアクリボックスのサイレンサーは、何キロ位で漏れだしますか?