30年前、週末に走りまくっていた二見のゼロヨン会場
30年ぶりに訪れてみた

片側二車線だった直線は、片方が封鎖されていまは1車線
当時、26歳
マツダを辞めて3年、自営『RE CHARGE』のチームと共に、、血気盛んな時だった。
車屋が乱立して立ち上がり中古車ブローカー、先物取引、いろんな事が大々的に行われて日本中は浮かれていたんだ。しかしやれることがまだ足りない時代だった。
携帯ブローカーやエアアマックスブローカー、たまごっちなどはまだまだ先だ。

スタートポイントには、S字の入り口。19歳の時同僚のRX-3を運転して突っ込んだところ。当時この工場とか建物はまだ何もなかった、ちなみに出口側のS字で一番最初のSA22Cは、、、毎週走るとスピードレンジや角度も上がり、ショックがヘタってタイヤがなくなるとミスもする、3か月ほどで全損になった。ここは週末ギャラリーポイントになってゆく。ただ、だれかれなしにやってきて皆が突っ込むので、” んじゃ、ストレート勝負だーっ” てなわけで、、、
その後ゼロヨン会場へと変えてゆく。自分で組んだメカチューン12A、13Bエンジンの性能を身内チーム同士で走り比べしようというわけだ。
スタートポイントの奥には。。。右に曲がって
奥に進むと、淡路島が見える『練習場ストレート』ここでは本番前に練習しておく必要がある
待ち時間が長いのに勝負は一回、パトカーが来たときに逃げ出す裏道にもなっていた。堤防に上がると、淡路島だ。



懐かしいですね。
当時20歳 マフラー交換だけのFCで行ってました。社長の出たばかりのシルバーFDを歩道から見て喜んでました。リアガラスにRE CHARGEの大きなステッカー。
いい時代でした…
いい時代、とも言えないかもしれませんね。
いまは、プレステで無リスクで走れる時代になりました
確かに、オレンジと緑のチェック柄のシートを張っていました。
これからも応援お願いしますー
30年前といえば僕は学生でバイク乗りでした。遠乗りで初めて夜中の広島西バイパスを知りました。32GTR、あんなに速い車は初めてでしたがカッコ良さではFCの後期でした。丸テールに憧れました。
そう、そこ。
丸が流行っていましたが
時代が変わって、、、、
いま、FCも、FDも前期の角テールが熱くなりました
こちらにも、ゼロヨンが盛んだった港がありましたね。
ホントに懐かしいです。
僕はマツダに入ったばかりでした。
辞めてからが長い。いや辞めた時からのほうがREにぞっこんになっていったというか。
いまもREが好きで7が好きでマツダに入る人、若い人いてくれるだろうか?
マツダがその気じゃなきゃ入っては来ないでしょうが。。
ナンバー見られないようにパッシングでパトカーから逃げたっけなぁ・・・
青春の1ページです。
ビデオカメラも回されていましたね、あの当時は、近くのローソンに逃げ込んでも写真撮られていました。
いや、、、
私たちがやってたことは
単なる暴走族と変わらないよね。。。。