松浦國夫さんは先日のマツダファンフェスタでマツダOBや関係者、大勢をまえにぽーんと言い放った
”わぁたしがコスモで84時間走らせたレぇースに比べたら、ルマンで24時間を、はしーるなんてぇ、ちょろ~いもんでぇすぅー(雲泥の差ほど50年前に行われた84時間レースは過酷だった)”
整備士の条件、は治せることではない。
まず、諦めない事。
真理を追究する事。
結果を求める修理ではなく要因を突き止め再発を防ぐ工夫を施す事。
忘れがちな重大な事は、乗り手、車両に合わせた工夫を施す事。
走ってなんぼという言葉がある。
いくらかっこよくても、エンジンルームがきれいでも
10kmも走れないのでは困るのだ、最初だけ調子が良くても困る、からぶかしだけ威勢が良くても困る、燃費が悪いのも困る、エンブレでパンパン言うのも困る、乗りたいときに乗れないのも困る。不調と好調を不定期に繰り返すのはもっと困る。
整備士たるもの機械的原因を調査し要因や誘因までも調査し持てる技術をすべて投入し足りないものがあれば自分で工夫改善できてこそ整備士なんだ。でなきゃ84時間なんて走れない。、、、減速時のパンパン音を聞いて”俺の7と一緒でかっこいい!”と言ってる若者を見て、本物の整備士は肩を落とす。
きっと僕と同じことを考えてるに違いない、それを確認せねばなるまい、いや、松浦さんにはそれに何かを付け加えて頂かねばなるまい。そしてこの世界で唯一のセリフを許された偉人を我々整備士は称えずにはいられない。
松浦國夫さんは元マツダ株式会社広島本社モータースポーツ推進課長となり、レース用エンジン開発責任者
50年前、各家庭に電話すらなかった時代、、REは生まれたのです。そして右も左もわからないままの1968年REの可能性を追及するため、松浦さんと小早川さんとのセットアップセッティングをした2台のコスモスポーツはドイツのニュルブルクリンクで開催される過酷な「マラソン・デ・ラ・ルート84時間耐久レース」にで4位をもぎ取る、この実績こそが車内で認められ今のレース活動があると小早川さんからお聞きした。翌年にはさらなる成果を残ずべく三台体制で参戦したものの、さらなる雨天や過酷な道路条件で2台がリタイヤ、残った一台は、マフラーが割れレギュレーションにより注意されるものの、注意を回避するためにキャブで燃料を止めワンローターに変更し、騒音を低減し4位をもぎ取るという奇策。、、大所帯の海外三大メーカーに対抗しました。
。。。。。私達高齢になりつつある現場が偉人を尊敬し耳を傾けなければ、技術の本質は継承されないんだ。。。
プロジェクトXや、当時優勝した瞬間のビデオ見ると
松浦さんって本当に職人気質で、かっこいい男だと思います。
24時間ちょろいってやばいですね。
でも確かに、ロータリーのレースカーは、1度もブローしてないと思います。
「10万kmなんてちょろい」
これが当たり前になってほしい。
整備士の育成プログラムとしてレシプロは確立しているのでしょう。
REは?というと。。。
そこで、職人は必要ないのか?
でも、職人がいなければ整備士は育たない
なぜなら?憧れることができないからだ。