98年、私たちはREスポーツプロジェクトを4ドアスポーツというパッケージで生き返らせることに成功しました。その起点になったのは当時のFordから来ていた開発担当役員リーチ常務が我々のサポーターになってくれたことです。
このスライドはロードスターを改造して作った新RE搭載の試作車ですがこの車に乗った彼はREスポーツの楽しさにほれ込み、その後Fordのヘッドクオーターを説得する側に回ってくれます。
リーチ常務はもともと自分でレースをやっておりFordからきた開発の役員がスポーツカーを好きな人間であったことは我々にとって千歳一隅のチャンスでした。
RX-8 主査 片淵 昇
マーティン・リーチさんが亡くなったことを昨年末に知り、本当に残念に思いました。リーチさんがおられなかったら、90年代半ばにフォードの傘下に入った後、REを継続しないというフォードマネージメントの決定を覆すことは出来なかったと思うからです。(もちろんREを愛するマツダの技術者たちの必死の努力があったことは忘れるわけにはいきませんが)90年代も終わり、私がアメリカに出向していたころリーチさんは何回もアメリカに色々な試作車を送り込み、私達と共に徹底した現地評価(あるときは朝5時から夜10時まで)を行ったのを忘れられません。また99年にはリーチさんがルマンに優勝した55号車をイギリスのGoodwoodのイベントに持ち込まれてデモ走行もしてくださいました。リーチさんは根っからのクルマ好きでマツダのZoom-Zoomのクルマづくりの原点の一人としてたたえなければならないと思います。今年のりんくう7DAYSの場で片淵さんと共にリーチさんをしのぶお話を是非交えたいと思います。
RX-7 主査 小早川 隆治
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マーティン-リーチ-闘病の末死去-と報じられるがマツダからのインフォメーションはないけれど
2016/11/02 – ネクストEVの社長で、同社のフォーミュラEチームを率いたマーティン・リーチが、癌との闘病の末亡くなった。59歳だった
5歳のときから自動車に興味を持ち始め、12歳のころより、レーシングカートに参戦、ヨーロッパチャンピオンを獲得している。
大学で自動車工学、経営学を学んだ後、1994年に 米国フォードに入社。1996年にはフォード傘下となったマツダに異動、商品開発本部長を務めた。その際にフォードの上層部が告げたロータリーエンジン開発の中止に対し、試作エンジンを搭載した車に自ら試乗して好感触を得、上層部に開発継続を進言している。
先週、大阪で片淵さん小早川さんとお会いし、この事実を聞いたときはとても残念だった、そして同時にマツダからのインフォメーションが無い、または少なく片淵さん小早川さんは「マーティン-リーチさんがREの為に尽力された方でありながらREのファンに知られていないことが残念」です、と聞いた
こういった小早川さん片淵さんからの話から2017りんくう7DAYではREをフォードから救った「マーチンさんを称えもくとうをささげる時間」を頂きたいと考えている。
RX-8に乗る人ならなら多くが知るこの話をREの乗ってる全員が知っておくべきだ
下の動画でリーチさんの話は18分から始まります
(RJ asmic さん提供)
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