生れての初めてディーラーはとてもいじわるだった
CVCCと書いた本を見せてもらえなかった
、、、、とてもケチだった、、、、
常識で考えると誰も月給500円の小学生を相手にはしない、それが正しいことだし、ケチと感じるのも小学生の純粋さだ。。。ただ、MCAーJETとかいてあるカタログをくれた店もあった
CVCCと同じ、第3のバルブを持つ排気ガス装置の呼び名ではあっても
三菱のギャランは愛想もよく、それっきり常藤、通称”常”は三菱のファンになってしまった、TOがいいーなんていいはじめ、彼はスーパーカーブームには乗らず営業のお兄さんにもらったスーパーカー消しゴムの世界に没頭していった
寝てもさめても、消しゴムをボールペンでつついて遊ぶ
授業中でもポンポン、飛ばす。
タイヤが回らないから滑らせて
。。。なんで面白いのか?
次のトヨペットに友人の常(ツネ)はいかないと言い出した。エンジンの無い、タイヤもない無機質のゴムに夢中な彼を、僕は理解できなかった(人に認めてもらう、三菱の人に認めてもらうことが常にとって幸せだったんだな、、と気がつくのは数十年後だ)
一人残された僕に、駄菓子屋のミウラのカードも、プラモデルでもロータスの下敷きも魅力はなかった、写真に、興味はなく実車両が見たくなった
写真の良さは、大人じゃなきゃわからない。僕にとって当時、カメラの構造が対象ではあっても、カメラの生み出すカラー写真には命を感じなかった
命とは、生命体である必要はなく
動くもの全てで、お互いの部品の組み合わせで2つ以上の動きや役割をこなすもので、ゆえに分解、修理できるものだ
小学生なりにそう、信じていたのだろう
明石に小さな陸上競技場がある、そこにスーパーカーが集まっていたので(俗にいう、スーパーカーショー)苦労して茂みの中をかいくぐってもぐりこんだ、がそれは大変つまらないものだったロープを張り巡らされて大人のカメラにさらされた彼らは単なる見世物だ
僕は思った、”ここじゃーぶんかいできないな。。。。”
どうしても本物を分解してしくみが知りたくなった
おとうさん、自動車ぶんかいしたいねん、、
おお、そうか、んじゃわしのバイク分解するか?
。。。そういって、候補に挙げたのが、、、こんなバイクだった
論理でいうと小学生のレベルではエンジンを理解するのほど遠い、常識で言うと10歳の男子児童には消しゴムで十分だ
ところが。。。。
うちのお父さんは、天才的変人だったというべきか・・
ドカのどのモデルであったか、いまや正確ではないが、たしか、自転車のペダルで漕いで、走ることもできたバイクだったんだ
小学生には、とてつもなく重く分解できない大きさだだった、えーーこんなん、おおきわー
んじゃーちいさいの、もってきたるわー
・・とても小さな、ガソリンの匂いのする、”本物”の壊れたおもちゃだった・・そして、そのおもちゃが僕の人生を決定するに問題などなかった
” えんじん、かかったら、おまえにやるわー、、”

本日の朝一様は、CX-5 90,000kmでございました。(最近見つけたおっかなビックリ事件簿)
ポート側は添加剤は入っておりましたので、一部ドロドロに溶けてました。 奥も結構多めです。 潜望鏡周りは口は空いてますが、周りにススが固まってました。 スロットルバルブも少なめです。...
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