新たな商品を出したり新たな企画を練る時、必ず失敗、失策がある
『〇タッフ細胞はあります』
少し前に話題になた再生細胞の話があった、世界を沸かせた大発見で通常の概念からしたらありえないことに詳しい学者さんは反発をしただろう。世界が見守る中再チャレンジが行われた、しかし残念なことに何度やっても再発見されることはなかった。(細胞についてはここでは論議はしない)
この失敗は小さな研究グループに対し巨大な力を持つ企業にとって、してやったり、だったかもしれない。
でも、もしかしたらやり方に問題があったのかもしれない。手順を間違えたのかもしれないし、テストした環境が過去と違うからなのかもしれない。他では起こらない事が起こった場合、必ず『原因となる違い』がある。偶然は起こらないのが科学だ。いつもと違う点を見逃してはなかっただろうか?という一種の『ひらめき』これこそが最も大事なこと、それが問題の解決に結びつくキーになる。
証明への過程はそう簡単ではない、ましてやそれが数年、数十年にかけ立証された事実や案件を覆すのは非常に困難だ。同じぐらいの長期的なスタンスと大量の物理的な事例で集められたデータ数が必要となる。
さて、、失敗は成功の母である、とはエジソンの言葉であると伝記で読んだ覚えがあるが、これに必要は発明の母と掛け合わせ、失敗は発明の母だと思っている。
・・・これを中村流に紐解いておこう・・・
失敗やミスを見つけた時、他人の所見はあくまで参考なんだ、本当の答えを求めて新製品やアイデアを通すためには、そういった症例やアイデアを『自分の力や権利の元で事例を列挙し整合性を証明しなければならない』仮に高名な他人の知見の元での検証がおこなわれても、一時の満足だけで終わるだろう、学校の試験で他人の答えだけ引用するとカンニング呼ばわりされるのと一緒だからだ。我が身を粉にして自分の時間を削り自身の資産を投げ売ってでも苦労の果てに答えを導き出し理論的に整合する結果を得た人にだけ、信念を他人に伝える事ができ相手の信念さえも曲げ得る力を持つのだ。
ここから先の努力はもう哲学になるだろう。困難な哲学と持論への挑戦は困難な挑戦だからこそ他人が共感してくれるのだ。聞きかじりや本の丸暗記では誰も付いてこない。
人には失敗がある
その人の失敗を笑う者になってはいけない
失敗こそが最大のキーだ
失敗したプロジェクトを共に苦労し成功に導いてこそ、『信頼』が得られる。その時多くの人が共感し共鳴し合える仲間が増えるだろう。そこから更に実績へと深化してゆくものだ。しかし更に言うなら失敗から成功へ導いたとき人はゴールと見間違えるだろう、しかしそれはゴールではない苦労へのスタートなのだ、更にお互い苦労の裏を知りあうチームには互いの努力をたたえ続ける連帯感が生まれる
こういったチームによるスキームは永遠に続くテーマになる。また、こういったテーマを持つ者には人の集まる。すなわち人の集まりは母であり、新しい何かを産み出す発明だからだ。
・・失敗から始まり信頼を勝ち得、失敗を共有し乗り越えた仲間と何かを産みだす。
だから、失敗は発明の母なのだ
整備士として38年経つが人生のテーマは『世の中に必要とされる事』への挑戦だ。それには人より抜きんでる才能が必要なのではない、必要になろうという強い信念があってこその今があり、そのため故の将来が必ず来る。答えだけを求めて出してはいけない、それがどうして起こり、どうすれば解決に結びつけることができるか?その先にこそ、改善された最高の新製品ができるモノだと思う。
失敗は発明の母、あなたは何を発明して失敗しましたか?そしてそれによって何を学びましたか?そして何を世に提供しましたか?
・・・・事業となるとこれまた難しい。
実際には、コストとの兼ね合いになってしまうところが、現場と営業の駆け引きになるのだが。
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