という題名のブログを見かけた
おいおい、、、誰だよこんなの書いて。。。俺なんか、またマツダのディーゼル買ったというのに・・
その文章になかには、、、
マツダびいきの義父と正月に会った。買い換えを検討しているという。CX-3こそが最後のクルマかなぁと言っていたので少し驚いたが、もうすぐ発売されるアクセラ(MAZDA3)がとてもいいようだと話すと、「次はマツダじゃなくてもいい」と即答された。何かほかに気になるクルマがあるのかと訊ねたら、マツダ以外のクルマで何かお勧めはあるか、と返ってきた。あんなに気に入っていたのに、この反応にはかなり驚いた。
また、、筆者の友人にマツダを勧めたところ
クルマの話(売ること)ばかりでまるで自分のことを考えてくれているような気配がしなかったと言った。そして結局マツダに紹介した彼は、『今の貴方の暮らしを豊かにするためにこのクルマを勧めますと提案してくれた営業マン』からトヨタを買ったという文面に、目を奪われた。
僕たちが愛してさせているRX-7はここを見るみんなの暮らしを豊かにしてくれる車である場合と、移り行く年齢やそれの伴う生活の環境の変化、そして出会った整備士によっては、あてはまる場合とあてはまらない場合があると感じた。
この話の中で僕達の立場で関与できる点は後半に書いた、整備士もユーザーのカーライフを豊かにしているという点であると思う。イヤ、古いRX-7のカーライフを支えるという話であるなら整備士しか関与できないと言い切れるかもしれない。
過去にも書いたけれど、整備士という職業は過酷であるがゆえに、やりがいがある、そういった苦労をした整備士だけがオーラを放ち人を魅了する。
冒頭に切り出したブログ「次はマツダじゃない」の深刻さ には残念ながら整備士の話は出てこない。お気に入りの営業マンが居なくなったら、また、営業マンに配慮が足りないなら現場の整備士が責任をもってユーザーに愛され求められればいいと思う。今の環境じゃ整備士と新車を買ったユーザーもしくは一般受け付けで縁を持ったユーザーの関係を築くことが難しいのかもしれない。
ならば、その環境を上司が改善し推奨すれば、営業マンだけに依存したユーザーとの関係で車を売ることはなくなるのではないかと思う、こんな話にはならなかったのかもしれない。
我々整備士が二代目の車を売る時代じゃないかもしれないが、気に入った車を買った本人の気が済むまで乗り続けるために必要な人材は
我々整備士なんだと胸を張って言おう
次はない、ずっとマツダだとね。
サービスも駄目、営業も駄目、整備士も駄目で20年お付き合いしたディーラーに任せるのを止めました。今ではロータリー専門のチューニングショップに任せてます。私の車ライフは7でお仕舞。今のマツダ車を欲しいとは思いません。
このように書いてしまうには、相応の出来事があったとおもいます。
このブログをマツダの社員が読むかどうか、全員じゃないにしてもディーラーの営業マン全員が共有して欲しいですね( ‘ω’)営業とは何か考えさせられますね
メーカー問わず、この営業マンの移動によるユーザーの心理を各地のディーラーの偉い人は理解しなければなりません。
過去ファミリアが100万円で買えた羽振りの良い時代ではなく、このご時世で300万、400万はかかる高額商品です。人生を背負うほどの金額です。