この本はマツダから発刊したものでありますが、当時の担当でおられた梅田さん、小早川さんの文化継承の御意志のもとここに公表させていただいています
この前お会いした際に、梅田さんは足を悪くされておられましたが往年の梅田節は炸裂、20年ぶりの再会にうめちゃん、うめちゃんと当時のご愛称で呼ばれる松浦さんもとても喜ばれておられました
この本はマツダから発刊したものでありますが、当時の担当でおられた梅田さん、小早川さんの文化継承の御意志のもとここに公表させていただいています
この前お会いした際に、梅田さんは足を悪くされておられましたが往年の梅田節は炸裂、20年ぶりの再会にうめちゃん、うめちゃんと当時のご愛称で呼ばれる松浦さんもとても喜ばれておられました
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私は家電メーカーにてエンジニアをしております。
この冊子の発行された当時、小学校3年生でしたが、
我が家はマツダ車を乗り継いでいる縁もあり、「こんな車があったらいいな」と、
マツダのお客様相談室に投書したことがあります。
程なく返事がきて、
「冊子を送りますので、勉強して、開発者になってください」との激励を
とともに、この冊子をいただきました。
大変大事にしておりましたが、今では紛失してしまいました。
ただ、特にマンガの内容は憶えており、
開発者としての発想法や心構えなど、少なからず影響を受けていると思います
(RX-7やユーノスロードスターの開発本の影響や、人見光夫氏の言及される「ボウリングの1番ピン」発想も含めて)。
このサイトで36年ぶりに見ることができ、感激しております。
ありがとうございました。
K.MURATA 様
ご愛読ありがとうございます。
これからもマツダ車を一緒に愛し続けていきましょう~